土用丑の日

土用の丑の日といえば鰻の日です。鰻を食べると夏バテしないと言われていますが、7月の鰻消費量は年間で1番多いんだそうです 十用とは立秋前の18日間でそれに子丑寅・・・・の十二支を順に当てはめていった丑の日をいいますから今年は 鰻の厄日は7月19日 7月31日の二回ありることになります。

鰻の料理(2)

ひつまぶし(櫃塗し)とは主に名古屋方面で盛んに供される、ウナギの郷土料理です。
ウナギの蒲焼を細かく刻み、小ぶりなおひつに入れた飯に乗せて出されます。
ご飯と鰻を混ぜて食べることから、ひつまぶしと呼ばれるようです。
蒲焼は関西風の作り方で蒸さずにそのまま焼き上げられるため、よく焦げた皮は香ばしく脂ののった中の身だけがふんわりと柔らかくなる。

明治時代に名古屋市で始まった料理で、ひつまぶしを始めた店は熱田区の「あつた蓬莱軒」とも、中区の「いば昇」とも言われています。
「あつた蓬莱軒」が登録商標をとったため、同店のみがひつまぶしの名で販売していますが、それ以外の店はひつまむしとの名で販売しています。

食べ方は
最初の茶碗に一杯はそのまま食べます。
次の茶碗に一杯は、薬味(わさび・のり・みつば等)をのせて食べます。
薬味は葱・山葵(わさび)・海苔のウナギによく合う3種で、これらの味の変化を楽しみながら食べます。
3杯目は2杯目と同じに薬味を載せてからお茶(煎茶)かだし汁をかけ、お茶漬けのように食べます。
この料理は、質の落ちた鰻をおいしく食べるために考案された料理と言われています。

鰻の料理(1)

「万葉集」の中に大友家持の『石麻呂に、我れ物申す、夏痩せに良しといふものそ、鰻捕り喫め』という歌があります、この歌の様に当時からうなぎは栄養豊富な食品として用いられていたようです。
但し
当時は鰻1匹丸ごと塩焼きにして食べるのが一般的だったようです、他のうなぎ料理には「まぶし重」「う・雑炊」などという料理法もあったようです。
「まぶし重」とは、器にご飯、うなぎ、ご飯と交互に重ね、1番上にきざみ三つ葉をのせたものでした。
食べるときには掘って食べていたようですが、これは香りも楽しむ食べ方であったようです。
「う・雑炊」は骨を抜いたうなぎをぶつ切りにし、お米を洗って土鍋に入れ、ダシ汁をはり、うなぎをのせて、煮込んで、仕上げに卵をかける雑炊だったようです。

うなぎを開いてたべるようになったのは江戸中期以降で、関西では腹開きにして蒸さないで直火焼きにしますし、関東では背開きにして蒸してから焼く習慣です。
蒲焼きはみりんやしょう油といった調味料が庶民に使えるようになってから始まった料理のようです。

土用丑の日と鰻

或る殿様から鰻の蒲焼を大量注文された鰻屋が、とても一日では焼き切れないので、子の日、丑の日、寅の日の三日間で焼きあげ、三つの土瓶に別々に入れて保存しておいたのだそうです。
納める日にそれぞれの土瓶から蒲焼を取り出したところが、子の日と寅の日に作ったものは傷んで売り物にならなかったが、丑の日に焼いたかば焼きだけは無事だったのだそうです。
この土用丑の日と鰻の話が全国に伝わり、「土用の丑の日には鰻を食べる」という風習が定着していったという説があります。
江戸時代に発行された書物に書かれている話ですから恐らく本当の話だと考えられます。

もう一つの話の方が有名ですが少々眉つばな話です。
江戸時代に学者、発明家として有名だった平賀源内が発案したという説です。
源内が知り合いの鰻屋から「夏場はウナギがあまり売れないため、商売がうまくいかない」という相談を受けました。
そこで『本日丑の日』と書いた看板を鰻屋の店先に張り出してご覧とすすめて鰻を販売したところ、お店は大繁盛したという説です。
「丑の日に『う』のつく食べ物を食べると夏負けしない」という民間伝承を源内がうまく利用して宣伝したもので、次第にこの話が他の鰻屋にも伝わっていき、真似るようになったということです。
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